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更新日:2022年8月22日
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甲府にもあった「信玄堤」
「信玄堤」といえば、一般的には甲斐市(旧竜王町)に築かれたものが広く知られていますが、実は甲府にも存在していたことをご存じですか?

画像:荒川2丁目にある「史跡学習公園信玄堤」では、霞堤のミニチュア水路を見ることができます。
周囲を山々に囲まれた甲府盆地は、昔から水害が多く、武田信玄公の父・信虎が居館を川田から躑躅(つつじ)ヶ崎に移したのも、度重なる河川の氾濫から逃れるためだったとも言われています。
信玄堤は、信虎の甲府建設事業を継承した信玄により、盆地の治水事業が積極的に進められる中で築かれました。堤防が不連続に、かつ一部重ね合わせたようなその構造は、霞(かすみ)がたなびくように見えることから「霞堤(かすみてい)」とも呼ばれています。
これは、洪水時に上流の堤防が決壊しても、その次にある外側の堤防が浸水を防ぐとともに、一度流れ出た水を堤防の間から川に戻すという機能を備えています。
市内を流れる荒川には、現在の山宮町付近から大里町付近にかけて築造されました。荒川の土手を千松橋から荒川橋まで歩いてみると、途中で土手が途切れて、外側に新たな土手が現われるところが何か所かあります。これは霞堤の遺構にほかならず、規模は小さいながらも、その面影を見出すことができます。
信玄堤が造られたことにより、洪水被害が減少し、新たな水田が開拓されました。これに伴い農業生産力が一気に向上して、中世末期以降の甲府盆地の発展につながっていきました。